私が石鯛釣りの魅力に取りつかれたのは、職場が伊勢市に転勤となつた昭和33年当時であつた。 東海磯釣倶楽部の、底物の猛者連が職場にいて、鳥羽市のチンタ釣りよりも、雄大な熊野灘で石鯛釣りに誘われ、紀勢線全通で開発された、熊野市ニ木島でした。当時の底物竿は、竹竿が主流で、高価な物が多く、注文してからなかなか手に入らない竿でした、そこで最近O社のカーボン、スーパーロットにNO51リール、道イト20号、ハリス、ワイヤー37号7本撚り、船形錘、石鯛針15号と言った、石鯛標準仕掛けで月に数回ニ木島に釣行しました。道路も整備されておらず、マイカーも夢の時代であり、紀勢線で1泊2日の釣行でした。 天然記念物の千畳敷の磯釣り場で竿を下ろした所、2名猛者連でなく、私に七本縞の大型石鯛が、2枚釣れたものでした。その時の喜びは、言葉に絶するもので、三段引きの当たりから、その強烈な締め込みに、手足が震えて、止まらなつた事を覚えています。それ以降O社のスーパー、ロットが私の愛竿になりました。
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それからはニ木島の磯は、素晴らしい海の色と、職場のゴタゴタとストレスの解消に、雄大な海は、内海の波止場釣りにはない、素晴らしいものでした。現代のように日帰り釣りが出来なかった為、連休をつくて、月に2回ほどニ木島の常宿「川口屋旅館」に泊り、ただ一軒の瀬渡し船頭「からく船頭」に送られて、一日目は新しい磯の開拓、ニ日目は最近成績の良い磯に(さざえ)を込ませして置く、これがニ日目の磯を優先的に、割当られる手法であり、春から秋の磯釣り季には、ほとんど幻の魚と言われた石鯛を、釣り上げたものでした。 数年通いつめ、当時は2本竿で攻めるのがつねである為、もう1本いろいろの竿を使いましたが、縁起の良いスーパーロットに、釣り結果がついてくるので、益々好きな竿となりました。考えてみれば、サザエの取り替え回数が、他の竿よりO社のスーパーロットが多かつたようです。餌取りの多い時などは、これは効果的とおもわれるし、釣果が良かったのも、こんな所に原因があつたように思えてなりません、この事が益々縁起の良い竿となつて行つたものと思える。
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昭和36年、ニ木島の磯、立岩で釣り上げた、名古屋連合釣り大会の優勝魚、3尺の寒鯛もこの竿でしたさすがに、10キロ余の大物魚を釣り上げる事が出来ず、タモの世話になつたが、忘れられない瞬間でした。 薩南諸島を初め、返還間もない小笠原諸島などの遠征無人島釣行が楽しくなり、倶楽部でも年一度は、離島釣行会が計画され、草垣群島、男女群島、屋久島、種子島、を初め、数人で1週間程度の遠征釣行で、テント張り、寝袋持参で、食事は瀬渡し船より配達して貰って、荒磯の石鯛釣りと夜のクエ釣りに、夢を脹らませていた、30才台〜50才台の荒磯釣りマンとして、自他共に許す釣りキチであつた当時にも、スーパーロットは、大活躍をしていた事を覚えています。もちろん、クエ竿などより豪竿とロープ釣りなどで、4尺20数キロのクエを釣り上げ、九州、枕崎漁港で処分し、各自1本のクエを、ダブルピックバンに氷詰して、国道1.2.3.号線を2時間交代で、走破した7人の侍であつた事も、忘れられない思い出でありました、 行きはとにかく、帰りは、観光を兼ねていましたから、普通の慰安旅行に我々には、釣りが加つている楽しみがあり、これ程磯釣りをしつている事が喜びがあり、会社勤めも、休みには必ず釣行が有り、伊勢市の三交代勤務時代には、毎日が、鳥羽、伊勢志摩の釣行であり、休日は、熊野灘での荒磯釣りと、趣味の釣りとはいえもうこれは道楽の他、何者でもない釣りキチであつたが、いつも愛竿がそばに有つて、私を慰めてくれた。
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盆栽も伊勢湾台風の昭和35年当時より、初めていましたが、私の人生は、磯釣りに始まり、磯釣りに終わつた40余年でした。 数々の釣果を経たカーボンロットも、材質の向上が計られ、もはや私の愛竿も釣友達から、是非新竿に変えないと、私達の会長として、恥ずかしい思いをするとまで、言われましたが、私は、この愛竿を放す事なく、振り回し、釣果を上げるので、皆んな唖然とした程でした。年齢と共に磯釣り定年となつた現在も、この愛竿だけは、大切に保管しています、こんな思い出の多い竿も、私の釣り暦と共に、今は幻の竿となつています。
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年齢に関係なく楽しめる盆栽は、70余才の私が今情熱を燃やして、「盆栽教室」の生徒50余名に、40余年培って来た技術、技能を指導しています。同級生は、年金生活でほとんど、テレビの守と年に数回の旅行で、寂しく過ごしているようですが、私には磯釣りと盆栽があり、若い盆栽愛好者に囲まれて、愉快な人生を過ごしています。
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