2005年11月の奥伊勢盆栽会の沿革


40数年の盆栽と釣りの「あゆみ」について 平成17年11月吉日 会長

昭和30年代から平成4年の現役時代30年間は、盆栽と磯釣りに明け暮れていました。
「現役卒業後は、盆栽道の一本道に14年歩んできました」仕事・家庭を第一に余暇の活用で、盆栽伝統芸術と磯釣りでストレス解消の為に楽しんでいた程度であれば、近所の人も結構なご趣味ですね・・・と言われもしましょうが、伊勢市の三交代時代は12日の内3日間の日勤以外は毎日盆栽弄りか、周辺突堤・砂浜の投げ釣り・宮川の黒鯛夜釣り・山越えの磯釣りに自動二輪車に釣竿と道具一式を積み込んでの釣り三昧、休日には1泊2日で紀勢線全通当時の熊野灘の磯釣り、連休には薩南諸島に1週間程度・離島遠征釣行に毎年グループで遠征し、帰りは慰安(所謂塩抜き温泉三昧)と休む間もない、1980年代には三重テレビに1年間レギラー出演して、三重県の釣り場の案内・紹介などしました。「東海磯釣倶楽部20周年」記念事業として「三重県磯釣ガイド」と「月刊東海釣り情報誌」を発刊するなど、所謂「釣りバカ」そのもの道楽者でした。(私の愛竿「石鯛竿」について、掲示板に投稿済み) 従って釣り部門では、未だに「三重県海面利用協議会」9人委員中で遊漁者代表委員、「全関西磯釣連盟副会長」「(社団法人)三重県釣り団体協議会・副会長」「東海磯釣倶楽部会長」として、自他共に認める一流の磯釣マンです。足腰の衰えと共に磯釣りは、秋の穏やかな海の状態に遊ぶ程度です。

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しかしながら盆栽道は、通常学校卒業後5年間の盆栽園で修行して、年明けとなり自立して・数年職人修行して初めてプロ開業しています。之とて芸術である以上上手・下手があり、生まれながらの感性と幸運に恵まれない限り、器用だけでは一流と言われる盆栽作家は数少ないのが現状です。
40数年盆栽弄りしていた「道楽者」の盆栽園開設は、所詮二流盆栽作家に他ならない。でも好きな盆栽だけに、各地の盆栽会に入会して多くの盆友と共に、展示会・有名盆栽棚拝見などで見識を広め、職人の芸を盗み・指導も受けて、色んな盆栽技術に挑戦し、書籍による勉強もして来ましたので、経験豊富な盆栽培養技術だけは身に付けています。世界に通じる日本の伝統芸術(文化)を継承していく為、盆栽愛好者の裾野を広げて行きたいと願って、平成4年に「東磯盆栽倶楽部」を創立し100余人登録会員となりましたが・平成13年4月1日発展的に解散して「奥伊勢盆栽会」を創立し、未熟な私を慕って集って呉れた、愉快な会員各位に囲まれながら、充実した人生を過ごさせて貰って、現在に至っています。40数年好きな事を楽しんで来ましたので、我が人生に悔いは有りません。盆栽園は、弟子に譲り長年培養してきた盆栽数十鉢を趣味の盆栽弄りとして、生涯教育と言われる盆栽技術で盆栽会の運営に「おまけの人生」を過ごすのが私の夢となっています。      奥伊勢盆栽会バンザイ

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盆栽園開設について。平成13年奥伊勢盆栽会創立に伴い、「会員サロン・事務局」として、奥伊勢盆栽園を教材提供・営業部門として独立させたのが、不覚の始まりでした。
当時は、不況時代で盆栽営業が成り立たず、周辺の盆栽園が閉園して、不要な盆栽の売込みが予想以上に多く、義理もあって予定していた盆栽置き場が手狭になり、駐車場を置場に増設して現在の盆栽・山野草・鉢置場・盆栽教室と成ってしまいました。弟子もレストランを閉めて、心ならずも盆栽修行に7年が経過して、一通りのプロセスを消化しました。結婚により家族5人が力を合わせて必死に運営していますが、水やりに夏季は6時間必要で、盆栽の手入れが思うに任せなくなりました。初心に帰って、若干の盆栽を処分して、盆栽の手入れと、依頼盆栽整姿・剪定と会員各位の技術指導に、支障が出ない様努力し、盆栽愛好者に親しまれる盆栽園目指して頑張ります。\(●^∇^●)/\(●^∇^●)/



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