奥伊勢盆栽園の沿革  開園からの経過報告の紹介


奥伊勢盆栽園の開園の趣旨と経過の紹介


盆栽と磯釣りをこよなく愛して40数年、平凡な年金生活で愉快な人生を過ごして来た、道楽者が何を思ったのか平成4年に40数年続いている磯釣り「東磯磯釣倶楽部」に続いて盆栽の「東磯盆栽倶楽部」を設立してしまったのが事の始まりでした。
100余名の同好者集まりいろいろな行事をして楽しい集まりでしたが、平成13年に発展的に解散しました。

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営業部門として「奥伊勢盆栽園」平成13年1月1日創立、盆栽の販売、園芸用品、関連する一切の業務を営む定款作成し、営業活動を開始しました。
盆栽は完成品より、改作が楽しめる素材を多く集めて市価より安くしています盆栽は、一代では完成しないと言われていますが、愛好者として、40数年集め、育てて来た 盆栽が有り、ブームの時は業者でなかった為、不況時の今盆栽業者が消えて行く中で、盆栽店を開店出きるのも、そんな事情が花を咲かせたものと思っています。
開園して、2余年ですが、盆栽の売り込みの多いのには、びっくりしています、世の中が不況で、松阪市、伊勢市周辺の盆栽店は、閉店してしまいました。
市場で買って来た盆栽や、山取りで鉢植えしたばかりの盆栽が、飛ぶように売れた時代には、商売になったと思われますが、もうそんな時代では無くなってほとんど、持ち込んで培養しなくてはならず、とても商売にはなりません、盆栽置き場もどんどん広くしなければはらず、これでは店を閉めるのも当然と思います。
その結果、盆栽店が少なくなり、売り込み先が限定されるのだと思いました。
しかし、購入から数10年手をかけ、樹格も向上しても、購入時の価額では売れません、趣味者として、楽しんで来た代償と思って愛着のある盆栽を処分価額で販売しています、店を開いた事を悔やんでも、後の祭りです。

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盆栽鉢に力を入れて、常滑の高級鉢、瀬戸鉢、信楽焼、四日市万古焼、素焼鉢中国鉢(古渡り、大昭渡り、平成渡り)各地の名品鉢など多数現品を揃えて、各層の要望に対応出来るよう努力しています。特に養成鉢、一級品で在庫処分品、二級品鉢、など各産地と中国鉢を取り揃え、出血覚悟、で、300円均一コーナーを設置し盆栽,山野草愛好者に好評です。盆栽、園芸用品では、ホームセンター、園芸店に無い品揃えをしています。

奥伊勢盆栽園は「奥伊勢盆栽会」の事務局として、園主は会長、講師を引き受け全面的に協力一心同体となって、厳寒期、盛夏期を除いて毎月二回盆栽技術研修会、会員盆栽棚見学指導、各種展示会などの見学旅行、「奥伊勢盆栽名品展」などすべての行事支援と事務処理をしています。
荒天時の「盆栽教室」には、旧喫茶「サーフ」で出来るようにして、実習場としてカーポートも建設し、駐車場の整備も出来ました。

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奥伊勢盆栽園、 三重県多気郡大台町神瀬1007-1 〒519-2425

        E メール  i-aoki@ma.mctv.ne.jp

ホームページ、アドレス http://okuisebonsai.com (15年4月より)

        TEL、FAX 0598-83-2065 携帯 080-5137-2065

 園主     青木  勇  

 従業員   盆栽管理 (盆栽講師助手) 青木 典子  季節パート数名  


40数年の盆栽と釣りの「あゆみ」について 平成17年11月吉日 会長

昭和30年代から平成4年の現役時代30年間は、盆栽と磯釣りに明け暮れていました。
「現役卒業後は、盆栽道の一本道に14年歩んできました」仕事・家庭を第一に余暇の活用で、盆栽伝統芸術と磯釣りでストレス解消の為に楽しんでいた程度であれば、近所の人も結構なご趣味ですね・・・と言われもしましょうが、伊勢市の三交代時代は12日の内3日間の日勤以外は毎日盆栽弄りか、周辺突堤・砂浜の投げ釣り・宮川の黒鯛夜釣り・山越えの磯釣りに自動二輪車に釣竿と道具一式を積み込んでの釣り三昧、休日には1泊2日で紀勢線全通当時の熊野灘の磯釣り、連休には薩南諸島に1週間程度・離島遠征釣行に毎年グループで遠征し、帰りは慰安(所謂塩抜き温泉三昧)と休む間もない、1980年代には三重テレビに1年間レギラー出演して、三重県の釣り場の案内・紹介などしました。「東海磯釣倶楽部20周年」記念事業として「三重県磯釣ガイド」と「月刊東海釣り情報誌」を発刊するなど、所謂「釣りバカ」そのもの道楽者でした。(私の愛竿「石鯛竿」について、掲示板に投稿済み) 従って釣り部門では、未だに「三重県海面利用協議会」9人委員中で遊漁者代表委員、「全関西磯釣連盟副会長」「(社団法人)三重県釣り団体協議会・副会長」「東海磯釣倶楽部会長」として、自他共に認める一流の磯釣マンです。足腰の衰えと共に磯釣りは、秋の穏やかな海の状態に遊ぶ程度です。

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しかしながら盆栽道は、通常学校卒業後5年間の盆栽園で修行して、年明けとなり自立して・数年職人修行して初めてプロ開業しています。之とて芸術である以上上手・下手があり、生まれながらの感性と幸運に恵まれない限り、器用だけでは一流と言われる盆栽作家は数少ないのが現状です。
40数年盆栽弄りしていた「道楽者」の盆栽園開設は、所詮二流盆栽作家に他ならない。でも好きな盆栽だけに、各地の盆栽会に入会して多くの盆友と共に、展示会・有名盆栽棚拝見などで見識を広め、職人の芸を盗み・指導も受けて、色んな盆栽技術に挑戦し、書籍による勉強もして来ましたので、経験豊富な盆栽培養技術だけは身に付けています。世界に通じる日本の伝統芸術(文化)を継承していく為、盆栽愛好者の裾野を広げて行きたいと願って、平成4年に「東磯盆栽倶楽部」を創立し100余人登録会員となりましたが・平成13年4月1日発展的に解散して「奥伊勢盆栽会」を創立し、未熟な私を慕って集って呉れた、愉快な会員各位に囲まれながら、充実した人生を過ごさせて貰って、現在に至っています。40数年好きな事を楽しんで来ましたので、我が人生に悔いは有りません。盆栽園は、弟子に譲り長年培養してきた盆栽数十鉢を趣味の盆栽弄りとして、生涯教育と言われる盆栽技術で盆栽会の運営に「おまけの人生」を過ごすのが私の夢となっています。      奥伊勢盆栽会バンザイ

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盆栽園開設について。平成13年奥伊勢盆栽会創立に伴い、「会員サロン・事務局」として、奥伊勢盆栽園を教材提供・営業部門として独立させたのが、不覚の始まりでした。
当時は、不況時代で盆栽営業が成り立たず、周辺の盆栽園が閉園して、不要な盆栽の売込みが予想以上に多く、義理もあって予定していた盆栽置き場が手狭になり、駐車場を置場に増設して現在の盆栽・山野草・鉢置場・盆栽教室と成ってしまいました。弟子もレストランを閉めて、心ならずも盆栽修行に7年が経過して、一通りのプロセスを消化しました。結婚により家族5人が力を合わせて必死に運営していますが、水やりに夏季は6時間必要で、盆栽の手入れが思うに任せなくなりました。初心に帰って、若干の盆栽を処分して、盆栽の手入れと、依頼盆栽整姿・剪定と会員各位の技術指導に、支障が出ない様努力し、盆栽愛好者に親しまれる盆栽園目指して頑張ります。\(●^∇^●)/\(●^∇^●)/


私の愛竿(石鯛竿)について

私が石鯛釣りの魅力に取りつかれたのは、職場が伊勢市に転勤となつた昭和33年当時であつた。
東海磯釣倶楽部の、底物の猛者連が職場にいて、鳥羽市のチンタ釣りよりも、雄大な熊野灘で石鯛釣りに誘われ、紀勢線全通で開発された、熊野市ニ木島でした。当時の底物竿は、竹竿が主流で、高価な物が多く、注文してからなかなか手に入らない竿でした、そこで最近O社のカーボン、スーパーロットにNO51リール、道イト20号、ハリス、ワイヤー37号7本撚り、船形錘、石鯛針15号と言った、石鯛標準仕掛けで月に数回ニ木島に釣行しました。道路も整備されておらず、マイカーも夢の時代であり、紀勢線で1泊2日の釣行でした。
天然記念物の千畳敷の磯釣り場で竿を下ろした所、2名猛者連でなく、私に七本縞の大型石鯛が、2枚釣れたものでした。その時の喜びは、言葉に絶するもので、三段引きの当たりから、その強烈な締め込みに、手足が震えて、止まらなつた事を覚えています。それ以降O社のスーパー、ロットが私の愛竿になりました。

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 それからはニ木島の磯は、素晴らしい海の色と、職場のゴタゴタとストレスの解消に、雄大な海は、内海の波止場釣りにはない、素晴らしいものでした。現代のように日帰り釣りが出来なかった為、連休をつくて、月に2回ほどニ木島の常宿「川口屋旅館」に泊り、ただ一軒の瀬渡し船頭「からく船頭」に送られて、一日目は新しい磯の開拓、ニ日目は最近成績の良い磯に(さざえ)を込ませして置く、これがニ日目の磯を優先的に、割当られる手法であり、春から秋の磯釣り季には、ほとんど幻の魚と言われた石鯛を、釣り上げたものでした。
数年通いつめ、当時は2本竿で攻めるのがつねである為、もう1本いろいろの竿を使いましたが、縁起の良いスーパーロットに、釣り結果がついてくるので、益々好きな竿となりました。考えてみれば、サザエの取り替え回数が、他の竿よりO社のスーパーロットが多かつたようです。餌取りの多い時などは、これは効果的とおもわれるし、釣果が良かったのも、こんな所に原因があつたように思えてなりません、この事が益々縁起の良い竿となつて行つたものと思える。

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 昭和36年、ニ木島の磯、立岩で釣り上げた、名古屋連合釣り大会の優勝魚、3尺の寒鯛もこの竿でしたさすがに、10キロ余の大物魚を釣り上げる事が出来ず、タモの世話になつたが、忘れられない瞬間でした。
 薩南諸島を初め、返還間もない小笠原諸島などの遠征無人島釣行が楽しくなり、倶楽部でも年一度は、離島釣行会が計画され、草垣群島、男女群島、屋久島、種子島、を初め、数人で1週間程度の遠征釣行で、テント張り、寝袋持参で、食事は瀬渡し船より配達して貰って、荒磯の石鯛釣りと夜のクエ釣りに、夢を脹らませていた、30才台〜50才台の荒磯釣りマンとして、自他共に許す釣りキチであつた当時にも、スーパーロットは、大活躍をしていた事を覚えています。もちろん、クエ竿などより豪竿とロープ釣りなどで、4尺20数キロのクエを釣り上げ、九州、枕崎漁港で処分し、各自1本のクエを、ダブルピックバンに氷詰して、国道1.2.3.号線を2時間交代で、走破した7人の侍であつた事も、忘れられない思い出でありました、
行きはとにかく、帰りは、観光を兼ねていましたから、普通の慰安旅行に我々には、釣りが加つている楽しみがあり、これ程磯釣りをしつている事が喜びがあり、会社勤めも、休みには必ず釣行が有り、伊勢市の三交代勤務時代には、毎日が、鳥羽、伊勢志摩の釣行であり、休日は、熊野灘での荒磯釣りと、趣味の釣りとはいえもうこれは道楽の他、何者でもない釣りキチであつたが、いつも愛竿がそばに有つて、私を慰めてくれた。

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 盆栽も伊勢湾台風の昭和35年当時より、初めていましたが、私の人生は、磯釣りに始まり、磯釣りに終わつた40余年でした。
数々の釣果を経たカーボンロットも、材質の向上が計られ、もはや私の愛竿も釣友達から、是非新竿に変えないと、私達の会長として、恥ずかしい思いをするとまで、言われましたが、私は、この愛竿を放す事なく、振り回し、釣果を上げるので、皆んな唖然とした程でした。年齢と共に磯釣り定年となつた現在も、この愛竿だけは、大切に保管しています、こんな思い出の多い竿も、私の釣り暦と共に、今は幻の竿となつています。

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 年齢に関係なく楽しめる盆栽は、70余才の私が今情熱を燃やして、「盆栽教室」の生徒50余名に、40余年培って来た技術、技能を指導しています。同級生は、年金生活でほとんど、テレビの守と年に数回の旅行で、寂しく過ごしているようですが、私には磯釣りと盆栽があり、若い盆栽愛好者に囲まれて、愉快な人生を過ごしています。


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